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ビーイングスタッフ問題とは・・・・・・・・・
大黒摩季がビーイング離脱後にビーイングから発売されたコンピレーション(編集盤)アルバムで作詩あるいは作曲のクレジットでビーイングスタッフが記載された問題のこと。
主に作詩であり、作曲は『いちばん近くにいてね』に見られるような明らかに継ぎ接ぎ系の曲。(Aメロは明らかに別の曲だった)

2001年10月31日『BACK BEATs #2〜Maki Ohguro&Staff Works〜』は発売された。
BACK BEATsとは1995年12月に発売され大ヒットした大黒摩季初のベストアルバムで今作はその第二弾ということらしいが選曲も適当、ジャケットも適当、ファンに訴求できる要素が全くない駄作であった。

というよりビーイングを離れ2001年より東芝EMIで活動を始めた大黒への嫌がらせ、それだけのアルバムとしか考えられない。
事実、2001年10月31日に大黒は移籍第二弾シングル『雪が降るまえに』を発売しており、同日発売としている点も見逃せない。

カバー曲の『White Christmas』を除き、作詩は全てビーイングスタッフ、大黒摩季と記載され『太陽の国へ行こうよ すぐに〜空飛ぶ夢に乗って〜』にいたってはビーイングスタッフ、AZUKI七(GARNET CROWの)、大黒摩季まで記載された。
作曲では大野愛果が提供したという『太陽の国へ行こうよ すぐに〜空飛ぶ夢に乗って〜』を除くと、『いちばん近くにいてね』のみにビーイングスタッフ、大黒摩季が記載され、他は大黒摩季単独クレジットになっている。

AZUKI七がクレジットされたということで、逆に判ったことはビーイングスタッフにはAZUKI七は含まれていないということ。
つまりビーイングスタッフとは長戸大幸のことを指すのだと・・・。
長戸大幸がB.B.QueensやMi-keに作詞した曲を見れば大黒の楽曲において歌詞を添削していてもおかしくないと思わせる痛快な内容だし、歌詞にエッチだのさらりと入れる大幸氏の影は見え隠れする。
だったらビーイングスタッフなどと卑怯なクレジットを入れず長戸大幸と記載すればよかったのではないだろうか?

この問題の根深さはビーイングでもアーティスティックな部類だと思われていた大黒摩季でさえ長戸大幸が手直ししていたという事実をリスナーが知らされてしまったこと。

だったらZARDは?宇徳さんは?まさか稲葉さんまで???・・・
当時売れていた倉木麻衣愛内里菜は完全にグレーだと思われたでしょう。

ビーイングの作家クレジット全てに疑惑が持たれ多くの不信感を与えた。
大黒の評判を落とすより深い傷をビーイングが負ってしまった可能性もある。
状況は違うものの川島だりあは自身が作曲した楽曲を小諸鉄矢(小室哲哉のパロディー)などとクレジットされていたこともあった。
劇映画は結構だけど作家のクレジットの偽装はいかがなものだろう。

この一件からも判るように長戸大幸が大黒の離脱に怒ったのは事実だと思う。
アシスタントから始めさせて長戸大幸が大黒のディレクターに抜擢したある社員(I氏)を筆頭に他にも数人のビーイングスタッフを引き連れて離脱した大黒自身にも問題はあったと思う。

大黒が10年以上関わったビーイングを離れようと思った理由は一切明らかにされていない。

この手の独立騒ぎはたいていがお金だったりするのでビーイングが薄給だったのだろうか?
100万、200万売るアーティストが薄給というのも考えにくい。
・・・・でも長者番付けに入っていたのでやっぱりそれはなさそう。
感情的な問題なのだろうか・・・謎だ。

参考資料

1996年長者番付歌手部門
10位 大黒摩季




長戸大幸氏は、師匠の阿久悠氏やラウドネスの樋口氏、そして長年寄り添って制作を手がけた坂井泉水さんなど関わった人を次々と亡くしている。
亡くなってしまえば関係の修復は絶対にできない。

大黒摩季、織田哲郎というビーイングに深く関わった人物とはおそらく断絶関係にあると想像される。
この問題を解決できるのは長戸大幸氏のみである。
お抱えのライターに彼らの批判を書かせるよりも彼らと真摯に話し、双方が納得するような解決を願っている。
ビーイングレジェンドツアーは我々ファンにはうれしい贈り物。
でもそこに大黒摩季、織田哲郎がいない寂しさは残る。

※敬称を略させていただいています